この神社は、雨降宮嶺方諏訪神社(あめふりのみやみねかたすわじんじゃ)と言います。
位置関係としては、嶺方集落の中心を南北に貫く道路があり、その西側にある山の山頂(三角点の標高1034m、山名不詳)から麓(標高840m程度)にかけてスキー場、その北隣に山を背にして神社があり、本殿や鳥居は東(道路・集落側)を向いています。地図から読み取れる神社の標高は850mほどでしょうか。
白馬村の中心市街を人間の里と仮定すると、幻想郷の東端に位置しながら、里とは反対側である東を向いているという博麗神社の設定と矛盾しません。
(もっとも、それ以外の施設立地まで考えると確実に矛盾してしまいますが…)
[参考:幻想郷地理考察(岳葉楼)]
山頂の展望台(白馬夢農場)からは白馬村の市街を挟んで西側の、白馬連峰(後立山連峰)が見渡せるそうですが、冬季休業らしく、今回は見送り。
白馬村による解説文。(積雪のため一部が判読不能ですがそのまま掲載)
白馬村指定文化財
(平成十三年十二月二十日指定)
雨降宮嶺方諏訪神社 嶺方宮ノ入二三六二
嶺方谷のあちこちに散在する小集落のほぼ中央
東に向いて鎮座する旧嶺方村の産土神である。
・スギの巨木から成る見事な社叢(村指定天然記念物)
に、神社の創祀の古さがしのばれる。
村の文化財に指定されている本殿は一間社
の流れ造りで、木階高欄、脇障子をそなえた
社殿である。造立年代は棟札により寛文八
八)と知られ、大工棟梁は菅の宮大工横田
ある。当初から覆屋に納められていたため
はたいへん良い。
この神社に所蔵される文化財で注目され
木に打ちこまれていたという九丁の古い薙
の鉄鐸、三二面の絵馬である。絵馬は寛永
六三九)の銘のある黒馬の絵馬を最古作と
禄から享保年間にわたる。背に派手やかな
た赤馬や白馬が描かれ、それに松や梅など
のや、武者、公達、女性を配したものもあ
でも比較的古い年代の絵馬が、これだけ奉
る例は、郡内でもこの社だけである。
平成十五年三月
白馬村
諏訪信仰に関連が深い、薙鎌や鉄鐸の存在が気になりますね。
ここに限らず、自治体が設置する解説板は文化財の由緒しか書かれていないのが不便です。神社自身や氏子が建てている場合は肝心な祭神関係の由緒が判るのですが…
神主が大学時代に諏訪信仰について調べたところ、それまで認識していた雨の神としての側面はメジャーではなかった…という事があったそうですが、白馬村の主な諏訪神社が「霧降宮」切久保諏訪神社、「霜降宮」細野諏訪神社、そして「雨降宮」嶺方諏訪神社と、何れも漢字に雨が含まれている事と関連がありそうです。
鳥居の奥には、杉の大木に囲まれた本殿と、右手前(北東)に社務所、左手前(南東)に倉庫が二つ。左に少し大きめの摂社、右に小さめの摂社が。
杉も文化財に指定されています。
白馬村指定文化財
嶺方諏訪神社の老杉群
昭和五十五年二月一日指定
この老杉群はご神木の大スギをはじめとして、
目通り幹回りが四メートル前後のものが十本
余りあり、美しい鎮守の森を形づくっています。
ここのスギは多雪湿潤な地に多い「山杉」と
いわれるもので、枝が粗大で材質が硬く雪折
れに強いといわれます。
ご神木の大スギは目通り幹回り八メートル、
高さ三十八メートル余りの巨木で樹齢も千年
近いと推定されます。往古から風雪に耐え抜
き樹勢は衰えず、堂々とした風格を持つ県下
有数の名木といえるでしょう。

本殿の前からだと、スキー場の下半分と、道路側(嶺方集落)が大杉の合間から見えますが、その他への眺望は地形的にも開けていないですね。
摂社は雪に埋もれており接近せず、詳細は不明です。
本殿にお参りして、帰路に就くこととしました。
帰りは車も通りかからず、雪まみれになりながら1時間半かけて麓へ下りました…
(蛇足をその3で予定しています)